プロの目㉗禊(みそぎ)という浅慮
2024年暮れも押し迫った頃、ドイツの自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の労使交渉がようやく決着しました。経営陣が9月に10%の給与カット、最低3工場の閉鎖、5万5千人の人員削減を打ち出して以降、3カ月超の交渉を経て、工場の閉鎖は見送られましたが、労組側も3万5千人の削減は受け入れざるを得ませんでした。多くのメディアはテスラや中国のBYDなどEVメーカーとの厳しい競争環境がリストラの背景にあると指摘しています。もちろん、それはその通りではあるものの、それ以前からVWを蝕んできたブランド失墜が弱体化に拍車をかけていることを忘れてはなりません。
その最たるものが2015年に発覚したディーゼル車の悪質な排ガス規制逃れです。VWが米国の排ガス規制を不正に逃れる目的で違法なソフトウェアを装着していた、と米環境保護局(EPA)が同年9月に突然発表。主力車種のジェッタ、ザ・ビートル、パサートやアウディA3で不正な操作が行われ、結局全世界で約1100万台がリコールの対象になりました。
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欧米の企業では組織的な不祥事があっても、日本のように謝罪会見は行わず、監督官庁に届け出るとともに、被害者や関係するステークホルダーに個別に謝罪し、補償の交渉に当たると言われます。「欧米では責任の範囲を特定し、何の目的で誰に謝るべきなのかを明確にすることが最優先で、日本のように曖昧に社会や世間に対して謝るようなことはしない」「日本の企業は謝罪会見を通過儀礼か禊のように思っているから、会見では経営トップが頭を下げるばかりで、本当は最も重要であるはずの再発防止に向けた取り組みが手薄になることが多い」などという声もよく聞きます。
こうした潮流を意識してか、日本でも謝罪会見をためらう企業が多くなったような気がします。会見を開くことが決まっても頑なに「これは謝罪会見ではなく、今後の取り組みを発表する会見だ」と経営層が言い張り、広報部門を困らせる場面もあります。
確かに欧米のような訴訟社会では、企業が不祥事を起こした際に、賠償金を求めていち早く企業を提訴し、後から事務所のウェブサイトで条件に合う原告を募って多額の賠償金をせしめる原告側専門の弁護士も多くいますから、会見で謝罪し、責任を認めるようなリスクはとれないのかもしれません。
では、排ガスの規制逃れが発覚した当初、VWがいかに対応したのかを振り返ってみましょう。
2015年9月18日に米EPAの発表で不正が発覚した直後の9月20日、VWのCEOは同社のウェブサイト上に謝罪の声明文を掲載しました。22日にはサイト上に謝罪動画を載せましたが、批判は燎原の火のように世界に広がり、とうとう翌23日にはCEOが辞意を表明しました。「私自身が過ちを犯したのではないが、会社の利益のために(辞任を)決断した」というCEOのコメントは欧米的であると同時に、日本では往生際の悪さをさらしたとも受け止められました。刑事責任の追及に向けて独の検察当局が動き出しても、VWの米国法人トップは「規制逃れは会社ぐるみではない」と釈明していましたが、ようやく翌年の2016年1月に新CEOが米デトロイトで会見し「会社で起きた過ちを謝りたい」と米国内で初めて謝罪。間接的ではあるものの組織的不正を認めました。
VWがこの不正に伴い支払った制裁金や罰金、賠償金の総額は全世界で280億ユーロ(当時のレートで3兆5千億円)と言われています。しかし、その額もさることながら、VWのようにB to Cのグローバル企業が支払わされた代償は顧客や潜在的顧客からのかけがえのない信頼だったということを忘れてはなりません。刑事、民事上の責任にばかり目を向けて、将来的損失に気が付かなかったばかりに、VWは今や世界屈指の自動車メーカーの座から陥落しかけているとさえ言えます。
日本の企業が不祥事を起こした場合に、いち早く謝罪会見を開くのは、何も通過儀礼だからではないのです。会見という場で、社会に対して不祥事の実態を明らかにし、経緯の中から原因を見極め、課題を提示して解決策を示し、再発防止を誓う。これが社会の信頼を失った企業が果たすべき社会的責任です。そうした姿勢を社会に示してこそ、企業はもう一度その存在意義を社会に認識してもらい、ポジティブに事業が継続できるのです。
私たちエイレックスはクライアントが会見を開く際の作法やテクニックをお伝えしているのではありません。当事者が対応に追われるあまり、忘れてしまいがちな企業の社会的責任やそれに伴う説明責任の重要性を再認識していただき、謝罪の場を通じて、社会と円滑にコミュニケーションできるよう適切にアドバイスをするのが私たち危機管理広報会社の使命です。